花火
エアコンが音を立てながら冷風を送り出していくのを眺めていた。ざあざあと大雨でも降らせているかのような雑音だった。部屋が狭いからより大きく聞こえるのかもしれない。
ひやりとした空気が素肌を撫でていく。身体の内側は熱いのに、表面の温度だけ奪われる不思議な感覚。肌を冷やしたところで中にこもった熱はなかなか抜けないことを隠岐は知っていた。
上半身を起こした隠岐は、ベッドの端に追いやられた衣服の中からパーカーだけを拾い上げた。下着はまだ身につける気分にならない。
羽織って横を見ると、水上が寝ていた。寒いのか布団を首までかぶっている。彼もまた視線を隠岐に向けていた。気怠げな、嫌味の一つをぶつけそうな目で。
「そろそろ起きませんか?」
「おまえが先にシャワー行け」
しっし、と虫でも追い払うような仕草だった。先ほどまで激しい情を交わしたとは思えない冷淡さだったがもう慣れた。
「水上先輩冷たいわー。もっとムード大事にしましょうよ」
「今更そんなもんあるか」
肩を掴んでさすってみるがびくともしない。動くつもりのない人間の身体というのはこんなに重いのだろうか。
花火しませんか、と提案すると「寮の敷地内は引火物とか危険物の持ち込み禁止やで」と却下された。
花火を見に行きませんか、と誘うと「人の多いとこ苦手やねん」と断られた。
やらん理由を並べるよりやる理由を考えましょうよ、と微笑むと「自分は連絡つかんときあるのにこんなときだけ都合のいいこと言うんか」と取り付く島もない冷たい目で見られた。
彼のテンションは元々低めで安定している、そう理解してもつれない態度だった。
その心当たりは多少あった。例えばかかってきた通話に出なかったとか、届いたメッセージに返信したのは日を跨いでからとか。生駒や南沢はそういうことを気にしない。というか知り合いの男は大抵そうだった。女より男のほうが人間関係に対して大雑把だった。言い換えれば淡泊。友情のあり方に男がいいとか女がいいとか思わないが、前者のほうが隠岐にとっては気楽だった。
隠岐に連絡がつかないことがあるというのは生駒隊では周知の事実だった。別にわざと連絡を絶っているのではないし、やましいことをしているわけでもない。非常呼び出しがあれば対応できるようにしている。
寮と学校、ボーダーの三か所を行き来するだけの生活に息苦しさを感じて、どこか別のところに行きたいと思うことがあるのだ。そのタイミングは隠岐にも分からない。ふとした瞬間に財布とスマートフォンだけを持ってここからいなくなりたいと考える。その時点でほとんどの場合はもう外にいた。
つい先日もそんなことがあったと思い出しながら、床に足を下ろす。ひやりとした感覚が心地よい。
閉じたカーテンの隙間から夜空が見えた。窓際に寄ってカーテンを更に開いてみる。パーカーの他は何も身につけていないから外から見えないようにした。といっても警戒区域近くに家や店は少なく、寮の周囲は暗い。
放棄地帯の黒々とした建物の向こうの夜空が光って見えた。下から一本の光が天に向かって走り、ある高さまで届くと幾筋にも分かれて散る。それが何度も繰り返されていた。打ち上げ花火だった。まるで照明弾を逆さにしたみたいやなあ、と戦いに身を置く者らしい考えが浮かんだのはさておき。
「ここからも花火見えるんや」
いつの間にか立ち上がった水上が隠岐の背後を取った。大きな手に後頭部をさすられる。
「おまえは人懐こいと思うてもすぐおらんようになる。呼んでも来ん。何考えとんか分からん。ふにゃふにゃして掴みどころがない」
そう言って水上は隠岐の首根を掴んだ。もっとも換装体でない限り水上が隠岐を持ち上げることはできないが。
「水上先輩が言いはりますか? あんたのほうこそ分からんわ」
ふっと笑みがこぼれた。隠岐でなくとも彼の複雑な思考を理解するのは困難だ。
「こっちの花火大会がどんなんか見たかったなあ。大阪より人少ないだろうし、よう見えるかも」
「行くか。蓮乃辺のが一週間後くらいにあったはずや」
「人混み嫌いなんとちゃうんですか?」
「俺の言うことを信じる奴がおるか」
窓ガラスに二人の影が映る。パーカー越しに抱き寄せられる。ごつごつと骨が目立つ腕の中に隠岐が収まった。
「……たまには俺から誘わせろ」
耳元で囁かれる。拗ねたような、腹を立てているような、どちらとも受け取れる語気はほんの少しだけ荒い。後ろに立つ水上の表情は分からない。
そういえば誘うのはいつも自分のほうからだということを思い出した。水上が声をかけるタイミングと隠岐が一人になりたい時期が重なることが多かったので。
パーカーの中に水上の手が入り込んでくる。隠岐の輪郭を全て暴こうとするようなじっとりとした愛撫。
肌を這う水上の手の意図を察した隠岐が制す。盛りのついた動物であるまいしこんなところで致すのははしたない。水上らしくない行動だ。
感情を捨てたかのような無駄のない指揮を執るランク戦での彼の姿がふと思い浮かんだ。しかし今ここにいるのはただの高校生だ。可愛い、と言ったらまた何か言われるので胸に秘めておく。
隠岐の手の上にさらに水上のそれが重なった。指と指を擦りつけながら根元から絡ませ合う。湿り気のある熱い掌が隠岐を捉えた。
うなじに口づけられた。舐められて吸われた。きっと痕がつくだろう、彼はそのつもりでしたはずだ。
これから起こることを予感した隠岐は静かに目を閉じた。