麦茶
ベッドとパソコンデスク、食事用のローテーブルを置くと六畳ほどの部屋はもういっぱいになる。
ついさっきまでローテーブルに陣取っていた教科書やリモコン、ティッシュ箱は床に下ろされ、今は食事が並べられていた。
大皿に盛られたカレー、色鮮やかな蒸し野菜。それらできたての料理からは湯気が立ち上り、部屋の中に甘く蒸れた香りが広がっていた。
生駒の手料理をいただいたのはこれまでに何度かあった。客人は大人しく座っとれと生駒は気を利かせたが、水上としては全てを先輩に任せることに抵抗があった。料理の手間もそうだし、食材費だって数を重ねれば馬鹿にならないはずだ。それでいつも自分にできることはないか探すのだが、単身者用の台所に男二人が立つとそれだけで窮屈だった。狭いとこなら一人でやるんが一番効率ええ、というのが生駒の言だ。
いつもどおり手持ち無沙汰でいて、そして料理が運ばれてくる。非番のよくある風景だった。しかし今日は一ついつもと違うところがあった。
1.5リットルのウォーターボトルに入った茶色い液体。
「イコさん、夏は麦茶派すか」
「おう。実家におるときは食事の度にお茶を沸かして飲んどったけど、今は面倒やから水。でも夏はやっぱ麦茶やろ」
「うちも夏は麦茶かほうじ茶やったなあ。それ以外の季節はミネラルウォーターでした」
「麦茶はカフェインが入ってないのに『お茶飲んどる感』があってええねん。なんぼでも飲める」
生駒が麦茶をコップに注いで水上に手渡した。ありがとうございます、と小さく頭を下げて受け取る。
ここに持ち運ばれたときは透明だったウォーターボトルの表面は今やすっかり結露していた。ボトルの真ん中あたりに生駒の手形が残っていたが、そこもすぐびっしりと濡れた。ガラスの表面を水滴が伝い、テーブルが湿った。
手にしたコップを水上がぐいと傾けた。香ばしい液体が喉を通って胃に流れ落ちた。
「……うまい」
水上が呟いた。その言葉を聞いた生駒が小首を傾げる。
「ただの麦茶やのに?」
「手作りのお茶の味がします」
「スーパーの安物やで。50パック入りのやつ」
「俺は普段スーパーの2リットル入りのやつを飲んどるんで。ペットボトルのお茶とかコーヒーって独特の味するやないですか。ちょっと今、実家のことを思い出しました」
生家にいた頃よりいくらか味も色も濃い麦茶。ただ湯を沸かしてティーパックを放り込んだだけのものでも、既製品を飲み慣れた水上には新鮮に感じられた。
大きめに切られたじゃが芋や人参をスプーンに乗せて一口頬張る。馴染みのある、自分がよく知っている味。
「カレーのルゥはどのメーカー使っとります?」
「普通にハウスのジャワカレー」
「多分うちもです」
親が作ったのと、生駒が作ったものは少し違う味がした。同じレシピでも同じ味は再現できない。それは具の種類や量、大きさだったり、かける時間などその人の個性によるものだろう。
「イコさんの味、好きやなあ」
しみじみ呟くと生駒が真顔のまま頬をかいた。どうやら照れているらしい。
「そのうちもっと手ぇ込んだ料理作ったるからな」
「今も十分美味しいですよ。楽しみにしとります」
スプーンに盛々になったカレーをまた口の中に運ぶ。炊きたての米の熱さに舌がじんと痺れた。そして何拍か置いて辛さで身体がかっと熱くなる。
今水分を摂っても口全体に辛さを広げるだけだと分かっているのにまた麦茶を飲んだ。あっという間にコップが空になった。
特に楽しいことがあったわけでもないのに笑みがこぼれた。食事することは幸せなことだと感じたのだ。