年の瀬
立てつけの悪いドアが開いた音を聞いた水上は目を開けた。逢瀬の名残に浸っていた意識が浮上する。
生駒が下着姿のままこちらに歩いてくる。滴り落ちそうなほど水をまとわせて、まるで子供の行水のようだ。
彼がベッドに腰を下ろすと、二人分の体重が乗ったベッドがぎちりと軋んだ。
「家以外で年越すん初めてや」
生駒がぽつりと漏らした言葉は独り言なのか水上への語りかけなのか判断することができなかった。
「なんやいきなりですね」
水上が一応調子を合わせる。ベッドに横臥したままの水上を生駒が見下ろしている。
もう一言発しそうな気配を水上が察したと同時に生駒が倒れかかった。呼吸が止まるほどの衝撃が胸を貫く。戯れのつもりなのだろうが、男一人の体重を無警告で受け止められるほど水上は頑丈ではない。
「……おわっ、重い! てか痛いんすけど!」
「すまん」
あまり反省していなさそうな顔つきで生駒は水上の上半身に腕を回した。表情の変化が乏しいせいで生駒の言動はいつも唐突に見える。
入浴直後のせいか、それとも情事の熱が燻っているのか、シーツ越しでも火照りを強く感じた。他人の体温に触れ、じりじりと情欲が炙られる。
「今まで年末いうたら特番見ながら蕎麦食うて、年明けたら初詣に行くんが普通やった」
「……俺もそんな感じでしたよ」
「でも今年は防衛任務。こんな冬を迎えるとは思わんかった」
生駒は水上の身体を抱きしめながらその首筋に顔をうずめた。耳の下に熱い吐息がかかってくすぐったい。
見た目に反して随分可愛らしい甘え方だった。先ほどの衝迫はすぐに鳴りを潜め、春の昼のような温かい気持ちが満ちた。力が強いうえに重いのが甘い雰囲気を壊しているというのはこの際無視する。
「なんやイコさん、家が恋しいですか?」
「たまに通話しとるからそんなことはないけど、なんか変な感じはするな」
「俺も。お年玉もらえんのは残念ですけど、ここにおったら年末年始は手当てが出るから悪うないすわ」
宥めるように生駒の頭を撫でた。半乾きの髪の毛に手櫛を通すとひんやりした感触があった。本人の意志をそのまま反映したような髪は硬く真っ直ぐだ。
「家族以外と過ごす年末もええな」
おそらく生駒は己の心情をありのまま述べているのだろうが、真剣な眼差しで告げられるといたたまれなくなる。それこそ殺し文句のように聞こえるのだ。
「年明けるまでここにおりたい」
同じ寮住まいでも未成年は日が変わる前に帰宅すべしと己を律していた生駒にしては珍しい申し出だった。恋人と一緒に年を越したいなどというロマンチックな願望はないが、それでも水上としては断る理由などどこにもない。むしろ。
「どうぞ、こんな部屋でよかったら好きなだけおってください。っていうかもうすぐ十二時やし」
水上が指を指した壁時計は午後十一時を刻んでいた。ちょうど生駒が退去する時間が今ぐらいだ。
「ほな、俺も風呂浴びてきますわ。すっきりして元旦迎えましょ」
上半身を起こした水上が生駒に場所を譲った。下着を身につけて床に降りると、足の裏に痺れるような冷たさが伝わった。情事の余韻も一気に消し飛ぶようだった。
じっと水上を見上げている生駒が口を開いた。
「よいお年を」
「一緒におるのにそんなん言わんでええでしょ」
「おまえがシャワー浴びとる間に年が明けるかもしれんやろ」
「いや、俺がそんな長風呂せんの知っとるでしょ」
柔らかくて穏やかな空気はすっかり消し飛んで日常に戻った。しかし、それを寂しいとも虚しいとも感じることはなかった。今後もこんな営みは繰り返されるのだろうから。
足元に落ちていた生駒のジャージを拝借した水上は身を清めるために部屋を出た。