人の気も知らないで
ベッドの縁に腰をかけて息をつく。床はひんやりしていたが、発熱する身体にはちょうどよかった。事後の気怠さは不快なものではなく、夢とも幻ともつかぬ余韻に浸っていた。
そんな神田が不穏な気配を感じて振り返ると、目前に外岡の足が迫っていた。すんでのところで受け止め、不躾な足の裏を握りしめた。
今後の成長を予感させるそれは広くて男らしいが、面積のわりに薄くて平べったい。まるで持ち主の身体つきのように。
外岡の足の裏がぐいぐいと神田を押す。体格差はあれど外岡に下半身の力を使われたら神田とて無事では済まない、はずだった。力が入らないのか太腿の内側を震わせるだけで、抵抗と言えないただの戯れになっていた。
親指より人差し指のほうが長い独特の形をした足がすぐ眼前にある。外岡の身体は彼自身が見ることができない場所も含めて知っているつもりだったが、ここはあまり眺めたことがなかった。
薄い皮膚の下に張り巡らされた血管を愛おしむよう足の甲に口づける。外岡は下半身ごとびくりと震わせ、神田にかけていた足を引っ込めてしまった。
ベッドに横たわったまま半眼になって神田を見上げている外岡から謝罪の言葉はない。先ほどまで睦み合っていたとは思えないような冷たい眼差しだ。
「人の頭を蹴ろうとするとはいい性格してるな」
「肩を狙ったつもりが外れました」
吐息だけで発する言葉は覇気がなく掠れていた。
「目つきがいやらしい、手つきが変態っぽい、ていうかおっさんっぽい」
「……」
人当たりのいい外岡らしくない態度の理由が分かっているだけに神田は何も言い返すことができなかった。
長時間神田を咥えこんでいたせいで未だ緩んだままの秘部はローションでぐっしょり濡れていた。腹は体液でべとべとになっている。全身に浮いた汗は乾く気配がない。
(おまえもさっきは乗り気だったのに……)
一方的に悪者にされて思い浮かんだ言葉をぐっと飲み込んだ。情熱的に愛し合った、と表現するには惨たらしい有様だったので。
床に落としたブランケットを拾い上げて外岡にかけようとすると、彼は身体を動かした。
気怠げな動作とは裏腹に筋肉はしなやかにうねり、微妙な陰影が浮かぶ皮膚。肉がついていないせいで細長く見える手足。神田のものを収めるには薄く浅く頼りない腹。鬱血の痕がいくつも散っている脚の付け根。
まじまじ観察していると腹の底から再び獣欲が湧いてくる。神田は頭を振って性衝動を追い払った。
外岡の腰までブランケットをかけて神田も添い寝するように横たわった。視線の位置を合わせると、力のない目が神田に向いた。前髪が落ちた目元は腫れぼったくなっている。
「神田さんは、親しくなった相手には遠慮しなくなるタイプ?」
「これでもかなり気ぃ遣ってるつもりなんだけど」
「じゃあもっと加減してください。壊れちゃうんで」
囁くような声が脳内に響く。外岡の手がこちらに伸びて、神田の肩や腕を触った。暗闇で手探りするように何やら確かめている。
一通り神田の上半身を撫で回してふう、と息を漏らした。嘆いているのか感心しているのか神田からは判断できない声色だった。
「……いつか壊される気がする」
「そんなことするわけ、ないだろ」
責める口調ではなかったのに心臓が縮むようだった。
彼を大事にしたいという気持ちはある。尊重しあって高めあう仲でありたいと願っている。それらは偽りない本心であるにも関わらずはっきり否定できなかった。
抱き返すようにして外岡に触れると、肌が冷たくなっていた。ブランケットを肩までかけてやり、神田も一緒にくるまる。互いの熱を分け合い、温かな空気が布の中に広がる。外岡は心地よさそうに目を細めた。
彼の腕を掴む。斬られようが撃たれようが傷を負うことはない換装体とは違い、今は鬱血の痕が点々と残る。神田がつけた疵だ。
トリオン体では腕利きの狙撃手でも、今の彼は神田が加減してやらなければ壊れてしまうかもしれない脆弱な身体の持ち主なのだ。
神田の胸に顔をうずめるようにして外岡は目を閉じていた。呼吸音は一定のリズムを刻み神田の肌を伝っていく。つい先ほどまで憎まれ口を叩いていたとは思えないほど穏やかな表情で身を委ねていた。
「神田さんならいっか……」
諦めているとも興味がないとも受け取れるような抑揚を欠いた声。半ば眠りに入った外岡の言葉から感情を読み取るのは困難だった。
己の選んだ道に後悔はなく、自分がいなくても彼なら独りでやっていけるという信頼もある。
安心して命を預けられる仲間であり可愛い後輩であり愛おしい情人である。複雑な人間関係を既定の言葉では表現できないし、するつもりもない。
何も心配することはないと自分に言い聞かせる。
事後の甘い空気が部屋を満たし、時間は穏やかに流れていく。それらは神田を癒やすものになり得なかった。